田邊健史の「義人感謙」

2017年から作成。個人の動き、書き留めたいことをこちらでツラツラいきます。義人感謙とは、私が、大切にしたい「義理」「人情」「感謝」「謙虚」の頭文字を取った造語です。

新聞奨学生の体験を改めて思い出す 序章

先日、掃除をしていた時に、見つけてしまった19歳の写真を見返した時から、
現代の奴隷状態だったなぁ、とフツフツ考えていたが

「あの殺人的な仕事時代の経験は、自分にとって何だったのか」

そんなことを頭の中で思い返していたら、文京区役所の教育委員会の窓口のラックで、このパンフレットにバッタリ出くわす。

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www.asahishogakukai.or.jp

パンフレットを見直しながら、制度自体は大きくは変わらないなぁ、と見ながら、自分が19,20歳の時にお世話になったこの奨学金制度。
何か、いろんなことがババババババババババ と頭に浮かんできて、クラクラしてきた。

過去の記事で、大麻やタバコの煙だらけの映像が最近浮かんできていたが、それは一端。

あの時の経験で学んだことで、自分の人生の糧となった事が有ったことを思い出したくなった。そう思って、手にしたパンフレットをパラパラめくっていたら、自分が20年前に勤めていた新聞販売店のASA生田で働いている学生が事例として挙げられていてビックリ。

そうだ、高校卒業後、初めての一人暮らしで心細い中、生田の販売店で経験した色々な良い事を思い出した。。

  • 先輩から相手の立場で考えた時の言動と振る舞い
  • 決まった時間に決まった活動する中で、ちょっとした変化に気付く能力
  • 夜明け前に活動している中で、自分は本当に何がしたいのか自問自答の機会
  • チラシ折込など配達前の準備から、地道な作業の大切さ
  • 弱っているときに、声をかけてもらえる人がいることの有り難さ
  • 一緒に切磋琢磨できる仲間がいることで張り合いが出来たこと
  • 厳しい環境を乗り越えた後に見える魅力に気付こうとする力
  • 制約ある中で選択肢が有った時に、自分で決める決断

まだまだありそうだが、色々思い出してきた。

20年たっても覚えているのは、当時の販売店には新聞奨学生として販売店に自分を含めて13人いて、完全な上下関係があった中、厳しい仕事内容をみんなで助け合おうという団結力が有った。

エピソードとして、覚えているのは、予備校に通いながら販売店をしていたので、1日3時間くらいしか寝る時間が無い中、自分としては体力的に厳しすぎたのは間違いない中、先輩たちの前で「疲れた」と発した際、「バカヤロー、そういうのは口に出す前に自分で工夫できることはないのか考えろ」と怒鳴られたりしたこと。同じ境遇でそれぞれギリギリの生活をしていたからこそ、助け合おうという信頼感が有った中での叱咤だった。

 

新聞奨学生を始めた理由は2つ。

家に大学に行くお金が無かったから。子ども心に親を頼れないことは気付いていたので、自分のやりたい道に向かうには自立して生きて行かねばならぬとした時の選択肢として、学費を稼ぐ手段としての新聞奨学生だった。

もう一つは、住み込みなら家から出ていける、というのもあった。なかなか家にいるのが窮屈だと感じていて、どうやったら家を出られるかを考えた時にもこの制度はピッタリだと思ったので渡りに船。

しかし、厳しい環境で一緒に過ごしてきた新聞奨学生の先輩たちの(言葉が悪かったが)温かい支えがあったからこそ、今の自分があるはずだとしたら、先輩たちのあの頃の優しさに、自分は応えられているのか。

自分は誰によって生かされているのか。改めて考えたくなった年末の夜中。