田邊健史の「義人感謙」

2017年から作成。個人の動き、書き留めたいことをこちらでツラツラいきます。義人感謙とは、私が、大切にしたい「義理」「人情」「感謝」「謙虚」の頭文字を取った造語です。

「がん」を再び身近に感じる健康診断前夜

GWに実家(大和)に行くのは何年ぶりのことか。

年に1回会うかどうかの家族がたまに会うと、あまり良い報告ではないことが多い。

 

父親が、健康診断の結果

今度は前立腺がんを発症したと告白される。

www.zenritsusen.jp

 

父親は数年前に大腸がんで、校門を切除する手術をしたので、転移したのかと思ったがどうやら新規で発症したとか。

数週間入院して放射線治療に取り掛かるとか、何とか言ってる。
が、頭には入っているが耳に入ってこなかった。。
(ドラマで見る光景を思い出した)

何故なら、自分が数年前の健康診断で、前立腺肥大症の恐れがある数値で再検査を受けた経験があるから。
 

私は(兄も)、家族で色々あり過ぎて、親と一緒にいる時間をアカラサマに避けてきているが、あまりに親の不健康ネタが続くので、親同士、互いに自分に何があったらどうするのか考えてほしい、と伝えるために数年間伝え続けてきたが、最近は諦め始めてきた。

そもそも将来を見据えて何かを、ということを考えてこなかった人生を歩んできた人たちでした。自分もその中で同じ価値観だったりするので同じ類ではある。

残された人生で何をするのかっていう意味では、孫の存在は大きいのかな。

GW明けに健康診断を受けるのが、少し憂鬱。
実は数年ぶりの健康診断なので何か出そうな予感がする。そんな前厄の今年。

記事:海外で働く孤独から得られるもの。イチロー会見に在外日本人が共感したこととは

マイノリティの一員になって、初めてわかること。
できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。

www.businessinsider.jp

集まりに期待することの違いからくるモヤモヤを見つめ直す

多様性を認めるためには、自分と違う意見に対して、落ち着いて受け止める心の余裕が必要だと感じた週末、という話。

4月20日に行われた
「企業化するNPO2 当事者隠ぺいと既成価値の強化」に参加。

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主催の田中さんの企画は、ちょうど1年前のこちらにも参加。

www.facebook.com

 

話された内容、私の雑感では、2回とも田中さんが伝えたいことは、↓のようです。

blogos.com

 

これ自体は、本質・根源的には理解できるので異論はなし。
(それだけがNPOでもないし、それこそ多様性だと思うのですが)

 

不思議なモヤモヤになったのは、参加者の質問やりとり。

個人的な感覚としては

「質問する人が、どれだけその質問に固執するか」

という点ですね。言うても端から見たら私だって固執していたかもしれません。
自分を戒めつつ。

 

BLOGOSの記事にコメントで結構面白いやり取り出てました。

コメントの多くは、NPOに対して、初歩的な勘違いをしています。
上にも書きましたが、NPOと一般企業の基本的な違いは、利益を出資者に配当するかしないか、ということです。
それは、もちろん、出資者が何を期待して、お金を出すか、ということとも関係します。___

一方、従業員にとっては、粗利益から自分の給料が払われる、という点では本質に違いはありません。
出羽の神にはなりますが、海外では、従業員にきちんとした専門職としての給与を払うNPONGO)も沢山あります。(そうでないものももちろん沢山ありますけど)___

日本のNPOは、エントリーがかなり自虐的に書いているように、残念ながら、従業員の処遇が営利企業社会福祉法人、そして役所等よりも劣っているものが多いのが実態です。
そして、役所の毎年変わる予算を当てにしているところも多い、という不安定な団体が多いわけです。役所ができない高度に専門的な業務や先進的な取り組みを、役人よりも遙かに安い給与を前提とした委託費で実行している、という「下請け」的な状況があります。(誰でもできるようなことをやっているNPOもありますけどね)___

しかし、それがNPOのあるべき姿か、といえば違います。
もちろん、ボランティア、プロボノ、副業、趣味としてNPOに関わるあり方もあるでしょう。
しかし、持続可能で豊かな社会を築くため、人生100年時代に多様で柔軟なライフスタイルを実現するには、従来の枠組みだけでは全く足りないことは歴然としています。___

エントリーは、一面の現実を捉えていますが、その現実を直視する必要がある一方、肯定してはいけないのです。その違い、わかってほしいものです。

 

私は、この考えに近いです。

そもそものスタートが
・企業が手を出さない(出しにくい)ほどの収益性(儲からない、効率悪い)
・行政が手を出さない(出しにくい)ほどの公益性(個別すぎる、役割が違う等)

だけど、社会にとって本当に必要だと思うものを、思いを胸に創造して起こし、活動を展開するのがNPOの役割。
食える食えない、で考えるのが本質だったのだろうか、どうもピンときません。

昨年、フミコムに来た中学生がレポートでまとめたときに、NPOは行政依存が多くて経営基盤がぜい弱という研究者の本が引用されて、それだけがNPOじゃないよゴニョゴニョとは伝えつつ、改めて考えてしまいました。

行政の仕事を行うにあたって、「あそこに任せられる」という信頼は経験でしか勝ち取れない。(自分たちの目利きを棚上げにして)二の次に実績っていう行政人に対しては、実績を勝ち取るため、期間限定で目的を明確に持って臨んでいるケースだってあるのです(少ないけど)。

さて、本題に戻るとして。

今回のテーマは
「企業化するNPO2 当事者隠ぺいと既成価値の強化」というのに惹かれました。

・企業化するNPO

NPOの収益性と企業の社会貢献性が重なってきたことによる表現。このこと自体、NPO第一世代の方をはじめ、望んできたことだと思っていました。こうなることに私は違和感がありません。むしろNPOこそが多様性を受け入れ、変化し続けるナマモノだと思っています。

NPO法の制度ができて20年少しですが、時代の流れで「○○化」するのは、むしろ必然。だからこその存在価値が問われている過渡期である、という事実。このこととスタッフは食えない、って申し訳ないけど分けないと論点ズレる。

 

・当事者隠ぺいと既成価値の強化

私はこっちに問題意識があって参加したのですが、全体討論でこの話しても、「じゃ、あなたはそのために何やっているんですか」と何故か自分はどうなのよ(言われなくても日々実践してますよ、とはその場でちょっとイラッとしながら)となり議論が深まらないのが残念。

「何故、食えないことをもっと発信した方がいい」ってなるのだろう。
事実としてはそうですが。これだけ複業言われる時代になったら、むしろ選択肢の一つとしてプラスに取り上げられたったいいのに。結局、自分が報われないのが嫌って吠えてるだけですよ。

選ぶのは自分であって多様性があってもいいのに。っていうのはマイノリティな考え方なんだろうか。。
それよりも、こういう繋がりができたら(その陰の面も含めて)今まで超えられなかった壁を超えるよね、って話にならないのか。
 

田中さんの「この業界はとにかく批評に慣れていない」には
深く深く賛同(これまでたくさんの方のキメツケ論にヘキエキ)するところがあるのは事実。

そこに集う人が、食える(食えない)ってボソボソ言ってるのが哀しい。

本気で解決したいと思うなら、今までのやり方では変わらない

に向き合い続けられるか。
だからこそ違う価値観の人との対話や批評が大切。

こんなに、あらゆるものが単純化されて、議論にならないのか。
みんな考えることが疲れちゃったかしら。
対話って言葉も軽く使われてますが、会話のウワベ感を掘り下げる意味では必須の視点なのに、使い方がウワベ感ですり減らされてしまっているし。。
当事者不在の議論しても本質じゃないよね、という話において、当事者の支援(支援って言葉が好きじゃないが便宜上)に関わる関係者の嘆きだけで終わるのではなくて、

どうして当事者隠ぺいが起きるのか。
賛同を得るためには何をやってもいいのか。
ってところの構造の理解と解決に向けて、はどうなってますかね。
ってなっていくのは難しいのか。

批評ができない、日本の世の中。

 

私の結論は

・自分の問題(食う食えない)と 社会の問題(構造の理解と解決)を分けて議論しながら、論点絞らないと前に進まない(食えない問題を軽視しているわけではない)

・答えは一つだけじゃない(だからこその批評を受け入れ、自らを改善)

NPOの現場にいた人は(大学という雇用を含めた)教育現場にいるはずなので、お願いだから、キラキラ現場だけではなく、社会課題の構造や本質を伝え続ければ、勘違い者が少しは減るんじゃないの

です。

そういう意味では、自分だって改善していかないといけませんと、と自戒を込めてって。

 

次回は7/12(金)18:30~20:30 @阿佐ヶ谷だそうです。

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扉の向こう側の記憶

dot.asahi.com

ずーっと、この記事を見て、
心に引っ掛かっているのは何故なのかを考えていて。

そして、蓋をしていた記憶がひとつ開いて思い出した。

20年ほど前、
自分が絶交ボタンを押した当事者だった。
当時は携帯を持ったどうかくらいで
メールも128文字とか、今思えば信じられない時代だったので対面で直接。

・・・・

・自分∶予備校生で新聞奨学生時代
・相手たち∶中学の同級生で現役で大学生たち
 記憶が曖昧だが1対1ではなく、複数人いたような気がする。

まぁ、浪人時代に、現役チャラ大学生に誘いに
行って飲みに行ったのが悪かったのですが。

100万歩譲って、大学で起きてる日常でのアレコレ
(やれ、サークルが楽しいだのなんだの)で
大学って楽しいところよ、励まそうとしたのかもしれない。

しかし、浪人時代で、お金がなくて仕事をしながら必死だったあの頃。
仕事の理不尽さを自分で消化することに精一杯で、そんな励ましが励ましに聞こえるわけはなく。

そもそも大学に遊びにいこうと思ってないし
そもそも一緒の大学行かないから、多分言ってることの様にはならないし

根底には、
中学時代なんてパッとしなかったやつなのに。。という激しい怒りと
家族が絶望的な時に、そばにいてくれた恩がある。。という不思議な感覚とで
バチバチとやりあっていて、話が全く頭に入らない。

キラキラしたようなことを、ベラベラと自論垂れ続けること1時間。。。

「あれ、私は何でここにいるんだろう、眠い」
と、幽体離脱に近い状態になりかけてきたので。

我慢できずに、ムクッと立ち上がり
「あ、もう無理。楽しくない話。お前ら何なのよ。帰るし、もう連絡してこないで」
となぜか冷静に、しかし重たく伝えたように思います。

金を払おうとしたが、その勢いに圧倒されたか「いいよ」ってなりましたが、
その頃は、そこら辺のバイト学生よりもはるかに稼いでいたので、
手切れ金位のつもりで、自分の分くらいは投げ捨てるように叩きつけ、店を後に。

去り際に「ごめんねー、もう連絡しないから」
って中学時代にパッとしなかった奴に言われたことが、
追い討ちをかけるようにショックでしたが
もう会わないとシャッター降ろした人達に何言われても気にならない。

・・・バタッ(蓋を閉める音)・・・

今している仕事の中の根幹は
「無意識な優越感」だけは絶対に持とうとしないことを「意識」してます。
だから、軽いアドバイスや、いわゆるコンサル臭する人が受け付けないのかもしれません。


あの時があるから、今がある。

そう思える状態になるまでには時間がかかる。
暗黒の新聞奨学生のことも、スラスラ話せるようになったのは、大学を卒業してから。

自分の行動原理に、過去の記憶が関与することは仕方ない。事実として避けられない。
しかし、だからこそ残された時間、生きている時間に何をするのか、を考え続けるうえで、
あまり必死になりすぎずに、少しは「楽しさ」も意識していきたいと思います。

おしまい。

記事:「“子どもを尊重する”って言うけれど」 りんごの木 柴田愛子さんから保育者への問い

人と接する仕事の本質に通じる話。

hoiclue.jp

記事:サンリオピューロランドをV字回復させた館長が「素人」から大抜擢された理由

diamond.jp