田邊健史の「義人感謙」

2017年から作成。個人の動き、書き留めたいことをこちらでツラツラいきます。義人感謙とは、私が、大切にしたい「義理」「人情」「感謝」「謙虚」の頭文字を取った造語です。

扉の向こう側の記憶

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ずーっと、この記事を見て、
心に引っ掛かっているのは何故なのかを考えていて。

そして、蓋をしていた記憶がひとつ開いて思い出した。

20年ほど前、
自分が絶交ボタンを押した当事者だった。
当時は携帯を持ったどうかくらいで
メールも128文字とか、今思えば信じられない時代だったので対面で直接。

・・・・

・自分∶予備校生で新聞奨学生時代
・相手たち∶中学の同級生で現役で大学生たち
 記憶が曖昧だが1対1ではなく、複数人いたような気がする。

まぁ、浪人時代に、現役チャラ大学生に誘いに
行って飲みに行ったのが悪かったのですが。

100万歩譲って、大学で起きてる日常でのアレコレ
(やれ、サークルが楽しいだのなんだの)で
大学って楽しいところよ、励まそうとしたのかもしれない。

しかし、浪人時代で、お金がなくて仕事をしながら必死だったあの頃。
仕事の理不尽さを自分で消化することに精一杯で、そんな励ましが励ましに聞こえるわけはなく。

そもそも大学に遊びにいこうと思ってないし
そもそも一緒の大学行かないから、多分言ってることの様にはならないし

根底には、
中学時代なんてパッとしなかったやつなのに。。という激しい怒りと
家族が絶望的な時に、そばにいてくれた恩がある。。という不思議な感覚とで
バチバチとやりあっていて、話が全く頭に入らない。

キラキラしたようなことを、ベラベラと自論垂れ続けること1時間。。。

「あれ、私は何でここにいるんだろう、眠い」
と、幽体離脱に近い状態になりかけてきたので。

我慢できずに、ムクッと立ち上がり
「あ、もう無理。楽しくない話。お前ら何なのよ。帰るし、もう連絡してこないで」
となぜか冷静に、しかし重たく伝えたように思います。

金を払おうとしたが、その勢いに圧倒されたか「いいよ」ってなりましたが、
その頃は、そこら辺のバイト学生よりもはるかに稼いでいたので、
手切れ金位のつもりで、自分の分くらいは投げ捨てるように叩きつけ、店を後に。

去り際に「ごめんねー、もう連絡しないから」
って中学時代にパッとしなかった奴に言われたことが、
追い討ちをかけるようにショックでしたが
もう会わないとシャッター降ろした人達に何言われても気にならない。

・・・バタッ(蓋を閉める音)・・・

今している仕事の中の根幹は
「無意識な優越感」だけは絶対に持とうとしないことを「意識」してます。
だから、軽いアドバイスや、いわゆるコンサル臭する人が受け付けないのかもしれません。


あの時があるから、今がある。

そう思える状態になるまでには時間がかかる。
暗黒の新聞奨学生のことも、スラスラ話せるようになったのは、大学を卒業してから。

自分の行動原理に、過去の記憶が関与することは仕方ない。事実として避けられない。
しかし、だからこそ残された時間、生きている時間に何をするのか、を考え続けるうえで、
あまり必死になりすぎずに、少しは「楽しさ」も意識していきたいと思います。

おしまい。